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噂の真相

世の中にはホントの情報とウソの情報が交錯しています。

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エステティシャンを目指す娘に、たかの友梨さんの生き方を読ませてみた

twotwe, 2026年6月8日2026年6月14日

中学三年生になった上の娘が、ある夜「エステティシャンになりたい」と言い出しました。

ファッション誌のメイクページに付箋を貼り、休みの日は鏡の前で母である私の顔を真剣に観察してくる、そんな子どもです。志望理由を聞けば「人をきれいにする仕事って、すごく素敵だと思った」と返ってくる。親としては嬉しい反面、業界の現実や将来の見通し、収入のこと、いろんなことが頭をよぎりました。

私は47歳のフリーランスライターで、出版社の女性週刊誌に14年勤めていました。芸能・経済・人物取材の現場が長く、女性経営者の半生記を何度も手がけたなかで、繰り返し原稿で向き合った人がいます。エステティック業界のレジェンド、たかの友梨さんです。

娘の話を聞いたあと、私は資料棚からたかの友梨さんの自伝を抜き出して、娘の枕元にそっと置きました。今日はその夜に何があったか、そしてなぜこの人の生き方を娘に手渡したかったのかをお話しします。エステティシャンを志す方や、そのご家族にも、何かしら届くものがあれば嬉しいです。

目次

  • 1 娘が「エステティシャンになりたい」と言った夜
  • 2 たかの友梨という人をご存じですか
    • 2.1 「エステの母」と呼ばれる理由
    • 2.2 78歳、現役の会長
  • 3 養子に出された少女が、フランスへ渡るまで
    • 3.1 養母の口癖「男に頼るな」
    • 3.2 26歳でひとりパリへ
  • 4 16坪のサロンから始まった、ひとつの産業
  • 5 60歳で双子の母になった、彼女の選択
    • 5.1 30年以上続けてきた、児童養護施設への支援
    • 5.2 紺綬褒章、二度の受章
  • 6 娘に読ませて、私が伝えたかった3つの言葉
  • 7 エステティシャンという仕事の、これから
  • 8 娘の反応と、これからのこと
  • 9 まとめ

娘が「エステティシャンになりたい」と言った夜

娘が憧れているのは、雑誌やSNSで見る華やかな世界です。けれど業界の現場を間近で見てきた立場からすると、表に出る華やかさと、現場で求められる地味な努力との落差が大きい職業でもあります。

エステティック市場は2024年度におよそ3,043億円の規模で、5年連続の縮小が続いてきました。2025年度は約3,046億円と、わずかながら安定化に向かう予測が出ています(矢野経済研究所のエステティックサロン市場調査より)。脱毛サロンの大量閉店、メンズエステの伸長、施術の高度化と、業界の地形は確実に動いています。

こんな業界に飛び込んで大丈夫だろうか。親なら考えますよね。ただ、私が頭ごなしに反対したくなかったのは、この道で人生を切り拓いた一人の女性のことを、私自身がよく知っていたからでした。

たかの友梨という人をご存じですか

たかの友梨さんは1948年新潟県生まれの78歳。「たかの友梨ビューティクリニック」を運営する株式会社不二ビューティの代表取締役会長です。会社は2024年12月時点で全国70店舗、従業員数は721名にのぼります(たかの友梨ビューティクリニック公式の会社概要に最新情報が掲載されています)。

1978年、新大久保のたった16坪の店から創業し、日本に本格的なフランス式エステを根づかせた人物として「エステの母」と呼ばれます。痩身、フェイシャル、脱毛を統合したトータルエステという業態を業界標準に押し上げた立役者で、自社の教育機関を立ち上げて人材育成のインフラまで自前でつくった人です。

ただ、私が娘に読ませたかったのは、こうした経営者としての成功譚ではありません。彼女の人生の入口と出口にある、二つの「子供」の物語のほうでした。より詳しくはたかの友梨の子供時代から現在に至る半生をまとめたWikipediaのページもあわせて読んでいただくと、その凄みが伝わると思います。

「エステの母」と呼ばれる理由

たかの友梨さんが日本のエステ業界に持ち込んだものは、技術だけではありません。

  • 体の自然治癒力を活かす「予防医学」としてのエステ観
  • ハンドマッサージとマシンを組み合わせた施術理念
  • 直営店だけで品質を守る経営哲学
  • 日本のエステサロンとして初めてのISO9001認証取得(2013年)

業界の言葉でいえば、たかの友梨さんが現れる前と後で「日本のエステ」の解像度が変わったのです。

78歳、現役の会長

代表取締役は2015年に後進へ譲りましたが、現在も会長として現役です。2019年と2025年に紺綬褒章を二度受章し、ビューティ&ウエルネス専門職大学では客員教授として教壇にも立っています。78歳が「現役」という言葉で表せる人生を歩んでいる、そのこと自体に私はいつも背筋を伸ばされます。

養子に出された少女が、フランスへ渡るまで

たかの友梨さんの半生で、私がもっとも娘に知ってほしかったのは、子供のころの境遇でした。

医師の父と看護師の母の間に生まれましたが、父には別の家庭がありました。生まれた瞬間から「望まれた子」ではなく、養子に出されることが定められていたのです。引き取られた最初の家は養育費目当てで、教育らしい教育はなく、その後も養子先を転々とすることになります。

中学生のころ、教師の心ない一言で自分の出自を知り、入水自殺を考えるほど追い詰められた夜があったといいます。本人は週刊女性PRIMEのインタビュー記事のなかで「不運だったけれど、不幸だったとは思わない」と語っています。中学生の自分が同じ立場だったら、こんな言葉は絶対に出てこなかった。私は何度読んでも、ここで息を呑みます。

養母の口癖「男に頼るな」

最終的に育ての母となった八千代さんは、生活保護も母子手当も一切受けず、母子二人で気丈に生きた人でした。たかの友梨さんは養母から、繰り返し同じ言葉を聞かされて育っています。

「男に頼るな。腕一本で子供を育てられるよう、手に職をつけなさい」

これがエステティシャンへの道の原点です。手に職という言葉が、これほど切実な意味を持って語られた家庭が、戦後の日本にどれだけあっただろうかと考えました。

26歳でひとりパリへ

中学卒業後は養母の助言で理容師の道に進み、群馬県の理容コンクールで常連入賞するほどの腕前になります。上京して薬局の化粧品売り場、外資系化粧品会社の美容部員と職歴を重ねたある日、新聞の片隅にあったフランスのエステティックサロンを紹介する記事を読みます。当時の日本にはまだ「エステティック」という言葉も概念も、ほとんど存在していませんでした。

たかの友梨さんは、その記事一本を頼りに、26歳で貯金を全額引き出して単身パリへ飛びます。1972年のことです。インターネットも気軽な海外渡航もない時代、フランス語も話せないなかで8ヶ月の修行を終えて帰国しました。

このくだりを娘は布団のなかで読み、しばらく黙っていました。そして「ねえ、お母さん。この人、お金とかコネとかじゃなくて、自分の足だけで人生変えてるんだね」とつぶやきました。私は静かにうなずくしかありませんでした。

16坪のサロンから始まった、ひとつの産業

1978年9月6日、東京・新大久保の雑居ビルの16坪。たかの友梨さんはここから「たかの友梨ビューティクリニック」を始めます。創業と同時に研修施設「日本エステティック学院」も開校しました。技術者がいなければ業界そのものが育たない、最初からそう見抜いていたわけです。

翌1979年には青山にトータルエステサロンをオープンし、美顔・ボディ・電気脱毛の3部門に拡大。法人化して株式会社不二ビューティとなります。その後の事業展開のスピードは凄まじいものがあります。

年出来事
1978年新大久保16坪で創業
1979年青山に総合サロン、法人化
1992年自社TV番組「ビューティ紀行」開始
1995年アーユルヴェーダ理論を導入
2002年児童養護施設に体育館を寄贈
2013年国内エステ初のISO9001認証取得
2015年代表取締役を退き、会長に就任
2024年全国70店舗、従業員721名

光ばかりではありません。2014年には残業代未払いを巡る労働問題が報じられ、業界の働き方そのものが議論の俎上に乗りました。会社はその後「ママ・パパ安心労働協約」を結ぶなど、労働環境の整備を進めています。光と影、両方を含めて一人の経営者の歩みなのだと、娘には正直に話しました。「素敵な仕事」と感じることと、「現実を知ること」は両立すべきだからです。

60歳で双子の母になった、彼女の選択

私が娘に一番伝えたかったのは、ここから先の話です。

たかの友梨さんは、法律上の結婚はしていません。実子もいません。それでも、60歳のとき、彼女は双子の赤ちゃんを養子として迎え、自ら母になります。プライバシー保護のためお子さんの性別や名前は公にされていません。彼女が公の場で語っているのは、養子縁組を決めた理由のほうです。

養子に3度出された自分。施設で暮らす子供たちを30年以上見続けてきた自分。その人生の積み重ねが、ある瞬間にひとつの結論に結びついたのだと思います。たかの友梨さんは「血のつながりがなくても、深い愛情で結ばれた親子関係は築ける」という考えを語っています。「子供がいないこと」が彼女の物語の終点ではなかった。むしろ、子供のころに自分が受け取れなかったものを、次の世代に手渡す側にまわる、という選び方をしました。

30年以上続けてきた、児童養護施設への支援

たかの友梨さんは1989年から、群馬県の児童養護施設「鐘の鳴る丘 少年の家」を支援し続けています。後援会長を務め、毎年12月には社員がサンタクロースとトナカイの装いで施設を訪問し、子供たちにプレゼントとケーキを届けています。2025年も実施されたことが、たかの友梨ビューティクリニックの公式ニュースで報告されています。

2002年には施設に体育館を寄贈しました。続けているのは、長続きしないと結果が出ない種類の支援だからだと、私は理解しています。一年や二年で消える有名人の善意ではなく、その施設の子供たちが大人になり、世代が一周しても続いている支援です。

紺綬褒章、二度の受章

2019年に西日本豪雨への私財寄付で紺綬褒章を受章。2025年に二度目の紺綬褒章を受章しています。誰かに見せるための寄付ではないし、節税のための慈善でもありません。子供のころに自分を救ってくれなかったものを、自分が持つ立場になったとき、惜しみなく差し出す人。娘には、この姿勢を覚えていてほしいと思いました。

娘に読ませて、私が伝えたかった3つの言葉

たかの友梨さんの著書とインタビューのなかから、私が娘の枕元に書き写したフレーズが三つあります。

最初の一つはこれです。

「夢は『叶』と書きます。口に十、つまり言葉に出して十回でも声にすれば、夢はかなうのです」

おまじないのように聞こえるかもしれません。けれど、たかの友梨さんはずっとこれを徹底してきた人です。パリ留学も、創業も、すべて口に出すところから始まっています。

二つ目はこれです。

「他人と過去は変えられない。でも、自分と未来は変えられる」

中学生の娘がこれから出会う人間関係、傷つく言葉、思いどおりにならない出来事。そのすべてに対して、お守りのように覚えておいてほしい言葉です。

三つ目です。

「女性にとっていちばん大事なことは、自立です。一生働ける技術を身につけることは、女性が自立していく上で、とても大切なこと」

エステティシャンというのは、まさに「一生働ける技術」を持つ仕事です。たかの友梨さんが娘世代のエステティシャンに本当に伝えたいことは、施術の技術論ではなく、ここなのだと私は受け取りました。

エステティシャンという仕事の、これから

母親として、現実的なところもきちんと押さえておきます。

エステティシャンには国家資格がありません。代わりに、業界団体の認定資格があります。

  • 一般社団法人日本エステティック協会(AJESTHE)の認定エステティシャン
  • 一般社団法人日本エステティック業協会(AEA)の認定エステティシャン
  • スイスに本部を置く国際資格CIDESCO(1,200時間以上の課程と実技試験、加えて600時間以上の実務経験が必要)

平均年収は厚生労働省のjobtagや賃金構造基本統計調査などの公的データで320万円から385万円のレンジです。指名制と歩合制が一般的で、実力と継続次第で大きく伸びていきます。独立して年収1,000万円を超える人もいる、そういう世界です。

たかの友梨さんが運営してきた「たかの友梨美容専門学校」は、18歳人口の減少を背景に2020年で閉校しました。現在も「たかの友梨エステティックアカデミー高等部」(神宮前の女子校)や、社員向けの社内アカデミーが稼働しています。たかの友梨さん本人もビューティ&ウエルネス専門職大学の客員教授として、次世代教育の現場に立ち続けています。

技術と資格と覚悟。この三つを順番に積めば、娘にも開ける道だと信じることにしました。

娘の反応と、これからのこと

自伝を読み終えた娘が、ある朝食卓でこう言いました。

「お母さん、私エステティシャンになるなら、人をきれいにするだけじゃなくて、お母さんになっても続けられる仕事の仕方を考えたい」

中学生にしては老成した発言にも聞こえます。それでも、たかの友梨さんの78年を辿った娘の口からこの言葉が出てきたとき、私はこの人の生き方を娘に手渡してよかったと、心から思いました。

血のつながりがあるかどうか、結婚をしているかどうか、子供を授かれたかどうか。女性の人生にはいろんな分岐があります。たかの友梨さんはどの分岐に立ったときも、「自分の手で人生を立ち上げる」という芯を絶対に手放さなかった。だからこそ、60歳で双子のお母さんにもなれた。これは強がりでも美談でもなく、事実です。

エステティシャンを目指すお嬢さんやご家族にも、たかの友梨さんの自伝を一度手にとっていただきたいと思います。技術書ではなく、人生の書として、です。

まとめ

この記事でお伝えしたかったことを、最後にもう一度整理します。

  • たかの友梨さんは婚外子として生まれ、3度養子に出された少女時代を持つ
  • 26歳でフランスに渡りエステを学び、1978年に16坪のサロンから創業
  • 「エステの母」と呼ばれ、78歳の現在も会長として現役を続けている
  • 60歳で双子の養子を迎え、自ら母となる選択をした
  • 児童養護施設を30年以上支援し続け、紺綬褒章を二度受章している
  • 娘に手渡したかった核は「自分の手で人生を立ち上げる」生き方そのもの

エステティシャンという仕事は、技術の世界であると同時に、人を癒す世界でもあります。たかの友梨さんが歩んだ道は、その両方を女性の自立と結びつけて見せてくれる、稀有な人生の標本です。お嬢さんが、あるいはご自身が、この道を歩もうとしているなら、まずはこの人の自伝を一冊、手にとってみてください。

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    • 2.1 「エステの母」と呼ばれる理由
    • 2.2 78歳、現役の会長
  • 3 養子に出された少女が、フランスへ渡るまで
    • 3.1 養母の口癖「男に頼るな」
    • 3.2 26歳でひとりパリへ
  • 4 16坪のサロンから始まった、ひとつの産業
  • 5 60歳で双子の母になった、彼女の選択
    • 5.1 30年以上続けてきた、児童養護施設への支援
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